ついこの間、新年を迎えたばかりなのにもう3月って・・・笑
物質世界の時間という概念は意識の感じる時の流れとは必ずしも一致しないもんですな。
さて、あなたもお気づきかも知れませんが、世の中の価値観はすべて幻想です。
何かを目指して頑張った結果それを手にすることが出来た人を、私たちは無条件に祝福します。
アスリートしかり、司法試験合格者しかり、昇格人事しかり。
おめでとう、これもみんな君が頑張ってきた結果だ、なんと素晴らしい、みんなも彼を見習って目指した結果を手に出来るよう力の限り頑張って欲しい。
おいおい・・・笑
TVでは金メダリストがこれまでどのように頑張ってきたかをドキュメンタリータッチで「○○選手のたゆまぬ努力とあくなきチャレンジ精神が今回のメダル獲得へと繋がった」などと放送します。
勝った人は「これでもか」と持ち上げられ、負けた人はひっそりとその場を立ち去るのみ。
私は、こうした世の中全般の風潮が気持ち悪くて仕方がないんですけど。
誤解して欲しくないのは、こうして頑張った人を否定しているわけではないということ。
良いんですよ、頑張った人が頑張った結果として手に入れたかったものを手に入れるのは決して悪いことではありませんから。
でも。
そういう人だけを持ち上げるのって、どうなんだろう。
頑張る事ってそんなに尊くて素晴らしいことなの?
頑張らないことだって同じくらい尊くて素晴らしいと思うんですけど。
どうして頑張ることとか目標に向かって努力することばかりがもて囃されてしまうのでしょうか。
なにひとつ成し遂げることなく、他人から注目されるでもなく、陽炎のように漂うような人生を送り人知れず死んでいく・・・
そんな人生だってすごく尊いんですよ。
この世にひとりの人間として生まれてきて、幾ばくかの期間を過ごす。
そのことだけでも計り知れない学びがあるはずなんですよ。
何かを目指してそれをゲットしたことのある人には想像すら出来ない、何もない目指さない変化のない日々。
そこから得られるものがどうして軽んじられるのか。
人はみな、あらゆる事に意味を求めます。
無意味なことを悪と考える人もたくさんいます。
私から言わせれば、意味のあることのどこが面白いんでしょう?
あらゆる事に意味さえ求めなければ何をしてもオモシロおかしく生きられるのに、そこに意味を求めた瞬間、何もかもが堅苦しくなり息苦しくなる。
良いんですよ、人生なんて自分がオモシロおかしく過ごせれば。
そこに価値とか意味とか生きがいとか、そういうくだらないものを持ち込むからいけない。
私は自分が死んだとき、
「あいつはなにひとつ成し遂げたものはなかったが、いつも楽しそうだったな・・・」
と言われたい。
目指さない、意味を求めない、漂うように楽しみながら生きる。
それで良いんじゃないかと。